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金沢八景・六浦から朝比奈、鎌倉にかけてはいわゆる「野島層」と呼ばれる凝灰質砂岩の地盤で出来ています。
三浦半島はだいたいどこも(年代的に開きはありますが)堆積(たいせき)層ですので、古代の海底に砂や火山灰・火山礫が堆積して出来た地層です。
鎌倉の山間部を形作っている「鎌倉石」と呼ばれる石・岩もこの凝灰質砂岩のことで、野島層、浦郷層、池子層などの層から採取される石のことです。
この地層は、柔らかく水分を含みやすく、摩耗し易いという特質があります。
今から300万年前から170万年前頃に海底に堆積した砂が隆起して岩化したもので、そのために貝の化石もそこからたくさん発見されます。
横浜の金沢区と栄区の区境を源とする「いたち川」の源流部周辺では、露出したこの「野島層」から水が染み出していて、(写真のように)イワタバコの生育にはピッタリの環境なのでしょう。
有孔質で根が張り易い垂直の岩肌に、地層に沿って横一列に紫色の可愛らしい花をつけたイワタバコの群生が連なっています。
この時期には鎌倉の古刹でも、同様に、凝灰質砂岩で出来た庭先に咲くイワタバコの群生を見ることが出来ます。
北鎌倉の東慶寺境内の崖に生えるイワタバコは美しいと、この時期かならず話題に上ります。
この東慶寺ですが、明治時代までは鎌倉尼五山として由緒ある尼寺で、駆け込み寺・縁切寺としても有名でしたが、明治4年に縁切りの寺法が廃され、広大な寺領もすべて失ってしまいます。
その後は寺院の維持もままならず急速に荒れ果ててしまい、とうとう明治35年には廃寺となり、多くの建物が荒れ果て朽ちて崩れてしまったようです。
では、その頃の建物はすべて消滅してしまったのかというと、明治40年に荒れ果てた仏殿は原三渓によって救われ、本牧三渓園に移築・再建されて今日も目にすることが出来ます。
茅葺き屋根の旧矢箆原家住宅の隣に、凛として美しい 方三間裳階付き(ほうさんげんもこしつき)の禅宗様の建物(旧東慶寺仏殿)がちゃんと移築され残されています。
もちろん、国指定の重要文化財です。
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