丹沢山塊の成り立ちとそこで見られる化石たち … 研修会・WanderVogel
2015-11-08


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11月に入れば趣味の時間に少し余裕が出来るはずだったのですが、次々に仕事が入り毎日大忙しです。なかなか思い通りにはいかないものです。

今日(日曜日)は朝方にちょっと時間が出来たので、備忘録を兼ねて先日行ってきた研修会のことなどつらつら書いてみようっと。

今月の始め、丹沢の七沢にある自然環境保全センターで開かれた研修会に参加してきました。
「南の海から来て山になった・丹沢山地の生い立ち」と題された神奈川県自然公園指導員向けの研修会で、講師は神奈川県地学会の門田さんです。

丹沢山地の成り立ちなどについては、自然探訪でのインストラクターで僕自身、参加者に話をする機会もあったのですが、実際に実物を見ることがあまりなかったので、今回はそれらが一堂に揃い、専門的な解説を聞くことが出来るということもあって、とても楽しみにしていた研修会だったのです。


------- 丹沢の生い立ち -------
丹沢周辺はフィリピン海プレートとユーラシアプレート、北アメリカプレートの3つのプレートの交わる位置にあって、すぐ西には太平洋プレート、さらに北に向かってはフォッサマグナ(中央地溝帯)が走っています。

フィリピン海プレートが地球の中に滑り込むラインは、日本列島の南側を列島に沿って西に台湾まで延びています。
プレート自体は、日本列島が乗っかっているユーラシアプレートの下に滑り込むような感じで日々少しずつ動いています。
でも、丹沢周辺では下に滑り込むのではなく、列島にぶつかった勢い(今も続いています)で逆に上に押し上げてられている感じになっているのだそうです。


もともと丹沢山塊は南のほうで出来た(1,500万年前と言います)火山島で、それが長い時間を掛けてフィリピン海プレートに載って北に移動してきて、ついに500万年前ころに日本列島に衝突して出来たものです。(ですから、丹沢山中の沢の岩・石などからは南洋に生息していたサンゴ類の化石が見つかります。)

その後、南の海で今度は丹沢よりももっと大きな火山島が出現して、同じようにプレートに載って北上、丹沢の南側に衝突(100万年〓200万年前)して、なおもグリグリと押してきて丹沢は盛り上がり、隆起して今の姿になった。
その時ぶつかってきた大きなかたまり・火山島が、今の伊豆半島になります。

といった具合に、日本ではあまり例のない特異な成り立ちを持った山なのですよ、丹沢という山々は。


丹沢山塊は日本列島にぶつかったあと、さらに巨大な伊豆半島に押され、もみくちゃにされたので、地層もひっくり返ったりしていて、岩質はボロボロでもろい地層になってしまった。
それが災いしてなのか、関東大震災・1923年(大正12年)とその翌年の地震で、丹沢山地では大規模な山崩れが発生し、山景がガラッと変わるほどの大きな被害があった。
当時(大震災後)のモノクロ写真などを見ると、丹沢のほとんどの山肌が崩落し滑り落ちているのが解ります。

その中にあって、檜洞丸から丹沢山、鍋割山にかけての丹沢山地稜線部は、ぶつかって押された時のマグマのとても強い圧力と高温の作用で岩石がホルンフェルス化して、かなり固い岩石に変質していたので、この周辺は大地震でも大崩れしなかったのだそうです。
そういわれれば、この辺りの稜線上を歩くと丹沢では珍しい岩場・岩稜が現れ、ヤセ尾根のクサリ場が続いています。

面白いですねぇ。
そういうちょっとした知識を頭の片隅に入れながら山歩きをしてみると、また違った目で山の姿を眺めることが出来ますね。

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